方言と標準語、本音と建前
東京に引っ越してもうすぐ3年が経つが、いまだに標準語に慣れない。自分が話す時より、他人が話しているのを聞くと、時々ギョッとする。大袈裟ではなく、本当に「ギョッ」とするのだ。
(東京の友人にはこの話3回くらいしているので本当に申し訳ないが)
例えばアパレル店にいるカップル。店員さんにも頼んでサイズ違い、色違い、型違い等色々見せてもらったらしい後の発言。
女性「んー、なんだか色々欲しくなってきちゃったー」
男性「そうだねえ」
私(ギョッ)
または、香水やルームフレグランスを売っている別のお店でのカップル。大きく息を吸った女性の一言。
女性「いい香りって本当に幸せな気持ちになる〜」
私(ギョッ)
文字面で伝わるんだろうか?伝わってる?この居心地の悪さ。
それ本当に「色々欲しくなってきちゃっ」てますか? それ本当に「幸せな気持ちにな」ってますか? という私の気持ち。
人生の半分以上を西日本で生きてきた私にとっては、標準語は仕事の時に使う言葉であり、情報を伝えるための言葉であり、建前である。その言葉を使って「色々欲しくなってき」た気持ちや、「幸せな気持ち」は表現できないものと感じる。標準語に感情は乗らないし、乗せようと思わない。それを彼女たちがやってしまうので、私はいつも街で他人の会話を盗み聞くたびにギョッとする(盗み聞きしなきゃいいんだけど)。
私自身標準語を話すときに、話す言葉、感情にブレーキをかけているように感じる。相手の話に同意する「そうよなあ」の一言を「そうだよねえ」と言い換えるだけで、「そうよなあ」の後に続くはずだった何かが続かない。あるいは、「そうだよねえ」という固いブロックで組み上げた返事の隙間から、本当に伝えたかった同意の気持ちがポロポロと溢れるような感じがする。
また、私が標準語を話すのは、主に仕事の時=理性が働いている時。その状態で「色々欲しくなってきちゃったー」と発言するのは、まだ欲しくなってきた選択肢から取捨選択して予算に見合った最適解出す余裕ありますよね? それまだ「欲しくなってきちゃった」段階ではないんじゃないですか? まだ検討できますよね? という感じに受け取ってしまう。
香りを嗅いで幸せな気持ちになるのも、「幸せな気持ちになる〜」と自分の感情を実況解説できるくらい客観視しているなら、まだその香りの幸せ感には浸れてないのでは? ということは「幸せな気持ち」発言は嘘ということですか? というひねくれた感想を持ってしまう。
だから、標準語でカップルが感情のやりとりをしているのは私にとっては違和感のある会話に映る。ハリボテの会話に見える。会話しているようで何も伝わってなくないですか?それ。と思う。完全に余計なお世話ですが。
西の言葉、特に関西弁はリズムで喋る。息継ぎのタイミングも「ん」や「っ」やイントネーションで調整しながら話すので、関西から上京して標準語を話す人は息継ぎのタイミングの違いから息苦しさを感じるらしい。慣れないリズムや息継ぎのせいで、言いたいことを諦めている節もあるのかもしれない。あるいは、関西はリズムに乗せていらんことまで喋ってしまっているのかもしれない。
また、関東と関西では笑いの対象が違うという話を過去ツイッターで見かけた気がする(ブックマークを遡ったけど見つからなかった無念…)。
確か、関西は本当のこと、事実を言い当てるのはOK(漫才文化)、嘘で笑い取るのはNG。関東は事実を指摘するのはNG(誇張したモノマネは失礼にあたる)、架空の物語で笑いを取るのはOK(コント文化)という話だった気がする。
関西の子供の喧嘩の言い訳で「だって本当のことやってんもん」という理由が有効という話も印象的だった。関東ではそうではないという点が。
やっぱり関東の人って本当のこと喋ってないんじゃん!
言葉といい、笑いといい、コミュニケーションの前提として本音を明らかにするのNGってことになってない?!そら噛み合いませんわ!!
というのが素直な印象。
恋愛とか友情とか、もろに感情が絡んでくるコミュニケーション、関東の人ってどういうテンションでやってるんだろう。関西人×関東人で仲良くなろうと思ったら、どこかでコミュニケーション齟齬生まれないのかな。