日記7/3
憂鬱だ。
いや、憂鬱というほど真剣に悩んだり思考を深めたりしているわけでもない。憂鬱に沈むのも億劫で、何もかもめんどくさくて、とにかく漫然と日々をやり過ごしている。
去年の鬱状態の全てを深刻に考えていた時の方が、視野は狭くても集中力があって頭を働かせていたような気がする。今は全ての物事の表面を撫でる程度にしか考え事ができなくて、何もかもいい加減で、どうにでもなれと投げやりになっている。
あるいは去年の躁状態の時の、軽率で衝動的だったけれど自分の足と言葉で活動できていた、あの燃えたぎる様なエネルギー。それも今はない。とにかく何もかもがだるくてめんどくさくて、1日使ったコンタクトをテーブルの上に捨てたり、テレビをつけたまま昼寝をしたりする、そんなルーズな行いとその行いの積み重ねが思考に染み付いて、もう取り返しがつかないような感じ。なりたくない大人に一歩一歩着実に近づいている。
鬱でもなく躁でもなく、もしこれが人間のデフォルトの状態なんだとしたら、私は鬱状態でいた時の自分の方が好きかもしれない。自分の意見があって、それを発信するための集中力があって、それを言葉で表現しようという痛々しいエネルギーがあった。
憂鬱の原因は色々あるが、ひとつは最近無理やりつくった年下の彼氏。
世界で一番好きな人(A)は私の中には一人しかいないけど、Aは私を好きなったりはしないから、だったらその人に足りない部分を補ってくれる恋人を作ろうとしたのだった。Aへの依存状態を脱するために。それで、私に好意を寄せてくれてあっさり告白してくれたのが今の彼。以下Bとする。
私の好きな人に足りなくてBが持っているものは、ずばり私への好意とお金だ。
マッチングアプリのプロフ上、Bは年収600〜800万あることになっている。20代にしてかなり多いんじゃないだろうか。まだ3回しかデートはしていないけれど、どこにいくにしてもお金は全部出してくれる。下世話だけれど、彼と付き合っていれば私はお金の心配をしなくていいな、と思えるのがBを選んだ一番の理由だった。
だが、Bには決定的に欠けている部分がある。話がとにかく面白くないのだ。
一緒に水族館に行ったときに亀を見て、「亀の喉って、お年寄りの喉にそっくりだよね」と絶妙に面白くない話をされた。その微妙さに思わず笑ってしまって、その笑いをウケたと勘違いされたのも辛かった。
LINEはこまめにしたいタイプと言われたから毎日何かしら連絡が来るのだけど、天気の話ばかりで盛り上がらない。お前一生天気の話しかせんつもりか?と聞きたくなるが、流石に付き合って一週間でその詰め方は泣かれそうなのでできない。
私が近況を報告してもそれを深掘りしたり盛り上げたりすることもない。彼は本当に私のことを好きなんだろうか。3回デートしたからマニュアル的に告白しただけで、私に興味なんかないんだろうか。そしたら、AになくてBが持っているものはもうお金だけになる。そんなんで関係を続けられるんだろうか。
私にお金があれば、お金のために結婚に躍起になったりしなくて済むのにと思う。しかし私は働く才能より男の人に好かれる才能の方があるので、適性を考えてこの結論に至った。
去年はフェミニズムや男女格差の問題だのに目覚めて、社会一般が求めてくる女性性に自分を押し込めることに抵抗していたけれど、結局自分も女性の性役割に倣った方が楽だからと流されてしまっている。こんな大人がいるから、若い女の子の明るい未来が潰されていく。こんな大人にはなりたくなかったはずなのに。
この文章をいつか見て、こんなこともあったなと笑える日が来るんだろうか。
それとも、これはまだ序の口で、今がピークなんだろうか。
今ならまだ引き返せる?
考える力を失った私は何もわからない。
向こうから聞こえてくるTVの音声に押されて、思考はまた流されていく。