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雑談しようよ

健康で文化的な最上級の生活

夜、部屋の窓を開けると鈴虫の声が聞こえるようになって、秋がすぐそこまで迫っていることに驚く。私が前職を休職したのも秋だったから、仕事をしなくなってもう1年が経とうとしている。

 

今思えば、去年の秋から今年の2月ごろまでは本当に体調が最悪だった。何かあればすぐ死に向かう思考は、脳の誤作動としか考えられないのに、当時はそれが自分の意志で下した正しい判断だと思っていたから怖い。

そして、「あれは脳の誤作動だった」と自覚するのに半年以上かかったのも恐ろしい。

 

体調が回復した今は、朝起きて「今日はこれがしたい」「あれがしたい」と思いつくし、食欲もある。1時間のドラマくらいなら集中して見られるし、知らない人に会いにいくのも怖くない。絵を描くのも美術館も楽しめる。夕暮れ時の西日が差し込む部屋で、静かな音楽を流しながら考え事をしたり本を読んだりする時間に、「私は人生の中で最も良い瞬間を過ごしている」と気づく(ことができる)。

できるだけ長くこの瞬間が続けばいいと思う。しかし、社会はそれを良しとしない。まずは元気になること、元気になったら社会に出て定職につくこと、生活が安定したら結婚すること、結婚したら子供をもうけ家庭を築くことーー

この幸せな瞬間をかなぐり捨ててまで、体調を崩しに出かける意味はあるのか。自分の時間を犠牲にする意味はあるのか。定職につけば少なくとも人生の1/3を仕事に捧げることになるし、子供ができればほぼ全てを子供のために使うことになる。それは本当に私が求める「私の人生」か。

 

しかし、社会に属さず、1人で生活することに充足感を覚える一方で、この生活に限界が来ていることも薄々気がついている。

 

この前見た夢の話。

私はどこかに向かってひたすら歩き続けている。空気は重く厚く私にのしかかるようで、汗だくになりながら歩く。夢の中で、音楽が聞こえてくる。それは確かにCreepyNutsのR指定の声だった。ポップなメロディに乗せて聞こえてきた歌詞は

「変わり続ける私を見て」

夢の中で私は、CreepyNuts新曲出したんだ、最近全然聴いてないな、とぼんやり思っていた。目が覚めて思ったが、彼らにそんな曲はない。

自分の深層心理をこんな形で目の当たりにするとは思わなかった。変わり続ける私を見て。本や映画を見て自分の感想を持てるようになったし、それを言葉にすることもできるようになった。半年筋トレと節食を続けたおかげで理想の体つきに近づいてきた。細々とした資格や語学の勉強もした。何より、絶望的なうつ状態から抜けられた。私こんなに変わったんだよ。でもその変化を私以外の誰も知らない。前向きな変化がある一方で、満たされない承認欲求もむくむくと育っていく。

会社に所属すれば社会と接点を持ち、人間関係ができる。誰かに話をしたり、私の変化を評価してももらえたかもしれない。しかし、労働に時間を取られていれば今のこの変化はあり得なかった。どちらもを同時に得ることはできない。

やり場のない承認欲求を抱えた私は、新宿駅で道に迷っている女の子たちを案内したり、エレベーター前でまごまごしている老婦人に声をかけたり、マタニティマークをつけている女性に電車の席を譲る。完全なるエゴ。親切な私を見て欲しいがための行動。誰か見て。

誰か。

見て。

私を。

 

こんなに承認欲求を持て余しているのに全く就職する気になれないのは、会社勤めがトラウマになっているのもあるが、一部には「縛られたくない」という思いがあるからだと思う。

決断したくない。道を一つに決めたくない。ここで決めてしまったら、残りの選択肢を捨てることになってしまう。あるいは、固定された人間関係の中で「私はこういう人」というイメージが固まってしまうことに対する抵抗。

 

 

そんなことを考えている時、星占い系のツイートで「双子座は一貫性を美徳としない」と書いてあって、妙に納得した。なんだ、私はもともとそういう星の元に生まれていたのだ。

あちこちフラフラ歩き回ってつまみ食いするのが好きな私にとって、仕事をひとつに決め、1人のパートナーと、家を建て、家庭を築くことは、足枷を増やすことにしかならない。でもそんな私の考えを世間は良しとしない。眉を顰める土星座と不動宮の人々の顔が目に浮かぶ。

でもそれは、あなたたちと美徳とする事項が違うだけですよ、と言ってやりたい。

あなたたちはあなたたちでやっててください。こっちはこっちで好きにやりますんで。

 

私がいつまでもフリーターだろうと、占いに傾倒していようと、インスタの更新が本と美術館ばかりだろうと、不幸にならないためにそうしてるので、そっとしておいてください。

「そんなことしてるといつか後悔するぞ」なんて言葉、聞きませんので胸の内にしまっておいてください。

私の幸せはあなたの幸せを侵害しませんのでご安心ください。

どうか放っておいてください。