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雑談しようよ

書くのがしんどい

書けない。

本当は月に2回くらいはブログを更新したいのに、書けない。書きたいことは山ほどあるのに、書けない。頭の中にある大小様々なもやを、言葉でいい感じに表現することも、それらを1つの記事としてまとめることもできない。ただもやがもやとして頭の中に蓄積されていく。

書けない理由は大体見当がついている。1つはテクニカル的な問題と、もう1つは精神的な問題。

 

 

テクニカル的な問題とは、私の執筆力について。

他の人がどうかはわからないが、私の執筆はその時読んでいる本の形式に大きく影響を受ける。ビジネス書を読んでいるときはビジネス書っぽく、小説を読んでいるときは小説っぽくなり、漫画を読んでいる時は全く文章にならない。頭の中のイメージが絵とセリフで出力されるから。

昔からそうだった。高校時代、文芸部だった私は、毎年夏には県の文芸部大会に出品し、年4回発行の部誌には何かしら作品を載せなければならなかった。作品は俳句、短歌、詩、小説、随筆から好きなものを選んで良かったが、私はもっぱら詩か小説だった。しかし、その時国語の授業で扱っている題材が評論文だったりすると、全く書けなくなる。一度その状態で文芸大会に小説を出したところ、講評に「内容は青春小説なのに、漢語が多く書き方が評論的」みたいなことが書かれていて、なるほどね〜と思った。本当にその通りだった。

このブログを書く時も、柔らかい文体のエッセイを読んでいる時が一番筆が乗る。多分、自分の書きたい内容と語彙力にいちばん合っているからだと思う。しかし、最近私が読んだのは職場の陰湿ないじめを描いた小説と近未来の日本を舞台にしたディストピア小説。かなり固くて暗い雰囲気を纏わせてしまう。語彙も追いつかない。書き出すのに苦労する。

 

 

次に、精神的な問題とは、最近私がめちゃめちゃ元気なことだ。

元気なのはいいことだと思われるかもしれないが、あまりにも元気すぎる。うつ抜けを超えて異常に開放的な気分に浸り、あちこちに興味が移る。やりたいことが頭に浮かんでは消え、今まで1つの心配事をいつまでも考えていたのが嘘のように、何も考えられない。衝動的で軽率。肥大した自尊心。狂った金銭感覚。全能感。

「軽躁状態に入ってるかもしれないですね」

と医師は言った。

闘病生活、第二章(うつ病から双極性障害へ移行)の幕開けである。

 

うつ状態から躁状態への移行と執筆に何の関係があるかというと、執筆に限らず創作はネガティブがなければできないからだ(このブログを創作に含めていいかはこの際置いておく)。社会に対する鬱憤や失恋の痛み、自己嫌悪、劣等感、不安があるから、文学や絵画や音楽が生まれる。星野源も過去にエッセイで「創作の原動力はポジティブではなくネガティブ」だと語っていた(はず)。

うつ状態によるネガティブが創作の源になっていたのだとしたら、躁状態の私は文章を書くこともできない、何もない空っぽの人間みたいだ。文章を書けることだけが私の取り柄で支えだったのに、躁状態になるとそれすらもなくなるんだな。そう思って落ち込んだ次の瞬間には、スマホを開いてSNSの動画に目を奪われていたりする。さっきまで何を悩んでいたかなんて、もう覚えていない。

 

 

 

最近は妙に嬉しいことが重なっている。幸せだなと思う反面、これがいつか終わることに怯える。あるいはこの幸せは躁状態が見せている幻想ではないかと怯える。いつもなら気づけたはずの落とし穴を勢い余って見落としていないかと怯える。

幸せを幸せそのものとして受け取ることができないのが、躁鬱のいちばん厄介なところかもしれない。