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雑談しようよ

テスト勉強が間に合わない

8月末から友人の家の店でアルバイトをしている。

まだ約2ヶ月、週に3回しか行っていないので出勤数は大したことないが、すでにかなりの文句が溜まっている。

 

私は、狭い世界で長い間生きてきた人たちの、外部から来た人に対する想像力のなさ、配慮のなさが特に嫌いだ。あなたたちの当たり前は当たり前ではないし、あなたたちの公用語は私の公用語ではないし、私がいきなり「私は太陽星座は双子座ですが、月と火星は乙女で、ASCは天秤で、太陽と月のアスペクトはスクエアで」とか言い出したら、え何の話?てなるだろ。そういうことだよ。

 

というようなことについて、昨日友人の前で発狂した。

「仕事ごときでよくそんなになれるね…」と呆れる友人の言葉を聞きながら、私は高校時代の自分を思い出していた。

 

高校時代もよく発狂していた。特にテスト前、テスト勉強が間に合わないと言って大泣きした。それが家庭科とか保健体育とかのいわゆる副教科でも、完璧にテスト範囲を網羅し、100点が取れないと気が済まなかった。

教師の都合でテスト範囲の発表が遅れても発狂した。私の計画が狂うだろうがと思っていた。「テスト範囲ってまだ出ないんですか?」と聞きにきた私に対して、流石に家庭科の先生も「家庭科ごときで…」というような顔をしていた気がする。

 

なんであんなに100点に執着していたんだろうと思うが、今の仕事に対する考え方もあんまり変わってなさそうなので過去の話ではない。

ひとつは、別に100点取れなくてもいいと誰も教えてくれなかったからだ。100点を取れば親や教師は褒めてくれるが、それ以外の場合のリアクションを知らなかった。怒られるのではないかと思っていた。100点を取れない私に価値はないと思っていた気がする。

書きながら思い出したが、学生時代常に頭の中にあった自分に対する考え方として「ブスなんだから勉強くらいできとけよ」というのがあった。可愛い子は勉強できなくても許される、ブスはだめというルッキズム的思想が10代の頃からあった。誰が刷り込んだんだよ、こんな最低な思想。

 

仕事ごときで、副教科ごときで、あなたの価値が損なわれることはないよ、と教えてくれる人が必要だった。100点でなくても私は私のままででいてもいいということを知るのに、27年かかった。

家庭や学校が、私にとっての安全基地ではなかった。最低な人生。

 

今でもたまにテスト勉強が間に合わない夢を見る。100点至上主義の呪いから未だ解放されない。私はいつか未完成な自分を許せる日が来るんだろうか。