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雑談しようよ

鬱は怖い

鬱は怖い。

体はまだ二十代なのに、まだそれだけの体力があるのに、その使い所がわからない。

まだ二十代並みの知識と経験しかないのに、思考力が低下するから、知識・経験のなさを思考力で挽回できない。日常生活の全てにおいて正解を導き出せない。

有り余った体力が空回りして、小さなミスを積み重ねて、もう取り返しのつかないところまで来てしまったような気がする。

 

まるで見た目は子供、頭脳は老人のチグハグな体を手にしてしまったようだ。大人というにはまだ未熟すぎるのに、大人というには劣化しすぎている。私を初めてみた人はきっと見た目よりソフトウェアが劣っていることに驚く。なんでこんなにとろいんだと。

 

街を歩いている老人たちが自分の中にもいるのだと思うとゾッとする。些細なことで怒鳴る老人、一度で話を理解できない老人、そもそも話を聞かない老人、勘違い、徘徊。彼らが周囲から疎まれている様子を見るたび、明日は我が身だと思う。私が彼らを軽蔑するたび、その矢は自分自身にも突き刺さる。

 

「まだ若いんだから」

周りに言われるこの言葉が私を苦しめる。年齢的には若くても、頭は認知症の老人並みなのに。誰も気づかない。だってちゃんと喋れてるじゃない、仕事できてるじゃない、生活できてるじゃない。そのどれも、私が脂汗をかきながらなんとか体裁を取り繕っていることを、誰も知らない。

 

いつも何かに焦っている。

これでいいんだっけ、これでいいんだっけ、これでいいんだっけ。

考えたところで私の頭の中で正解が生成されることはない。得体の知れない何かに追われて、得体の知れない何かを探している。

 

いっそまともに喋れなくなってみたらいいんだろうか。まともなふりをやめてみればいいんだろうか。そうしたら、誰かが手を差し伸べてくれるだろうか。

そう考えたところで、思考は止まる。どうせ、誰も助けてくれないから。助けてくれないからうつ病になったのだから。

 

老人や障がい者を疎ましく扱う社会は、回り回って自分達の首を絞める。この社会は「健康で五体満足な若年男性」を基準にして回っている。病人が、障がい者が、高齢者が、女性が、枠にはまらない全ての者が簡単に切り捨てられる。その冷たい刃は「健康で五体満足な20代男性」の喉元にまで突きつけられている。一歩足を踏み外せば容赦なく突き刺さる刃。それは焦りを生み、精神的な負荷を与え、個人及び社会全体を歪ませる。

 

こんな社会で障がいを抱えて長生きして、何が楽しいんだろう。

「死にたい」といえば簡単にうつ病認定されてしまうが、むしろこんな社会で「生きたい」と願う方が難しんじゃないか。

本当は鬱が怖いんじゃない。鬱であることを許容できない、この日本社会が怖いのだ。